向山洋一がたどった特別支援教育の歩み~吉岡君の四年生のときの記録の分析(その2)~
『教師修業十年』にみる吉岡君の状態と向山氏の対応が凄い。さらに向山氏の教師としての優れた特性を垣間見ることができる。
玉川大学教職大学院教授 谷 和樹
「馬鹿だから死にたい」
『教師修業十年』(明治図書)に次の記述がある。
これが、前担任の記録にある次の記述のものだろう。
「死にたい」と言われた向山氏は、びっくりして次のやりとりをする。
この吉岡君は、それまでにも友達に石を投げ、消しゴムを投げ、筆箱を投げ、眼鏡を投げ……という乱暴者である。
よく考えると、次の記述は驚きである。
なぜ、吉岡君は向山氏の側に行ったのだろう。
しかも「しばらく」休んでいたというのである。
吉岡君は自分の担任には決して近づかなかったに違いないのだ。
向山氏には受容的な雰囲気があったのだろう。ふだんから怒鳴っていなかったのだろう。
朝会その他でそうした向山氏のムードを吉岡君は無意識に感じ取っていたのかも知れない。
すぐに言ったのではない。「しばらくして」言ったのである。逡巡していたのかも知れないし、ふと思いついたのかも知れない。
いずれにしても、「この先生には言っていい」そう感じさせる何かが向山氏にはあったということだ。
この点は、これまで誰も指摘していない。しかし重要だ。
宮尾益知氏(どんぐり発達クリニック医院長・医学博士)は言う。
1人でもいい。その子が敵じゃないと感じさせる大人が必要だ。
通常は教頭先生とか、用務員さんとか、年配の教師がそうした役割に向いていると言われている。
しかし、当時の向山氏は32歳である。
その時点でそうした役割を担える人間的大きさがあったのだろう。
はっきりとした口調で答えたのである。その後「何をやってもだめなんだ」とも言っている。
医師の言葉として向山氏の文章に出てくる次の2点はこの記録を根拠とする。
この部分も極めて重要なので次回にまとめて取り上げる。
つまり、話す時に向山氏の顔を見ていたのである。
それから「また」雨の校庭に視線を移したのだ。
顔を見ながら話ができるのである。
たまたま側に来て座った吉岡君に、向山氏は30分近くも語り続けたのである。
当然、別れた後で時計を確認し、このことを担任に報告したから時間が分かる。
担任の記録にも残っている。
そして、にっこり笑ったという。
向山氏が彼を最後まで信じることができたのは、これが原点にあったからであろう。
(続く)
谷 和樹
玉川大学教職大学院教授。北海道札幌市生まれ。神戸大学教育学部初等教育学科卒業。兵庫教育大学修士課程学校教育研究科教科領域教育専攻修了。兵庫県の公立小学校に22年勤務。TOSS(Teachers’ Organization of Skill Sharing)代表。著書「子どもを社会科好きにする授業」(学芸みらい社)、「谷和樹の学級経営と仕事術」(騒人社)他、書籍・論文多数。
※この記事は2016年6月1日発行の『TOSS特別支援教育 第3号』に掲載されたものの再掲です。一部、名称等が当時のものになっていることがありますこと、あらかじめご承知おきください。
※この記事へのお問合せはTOSSオリジナル教材HPまで。https://www.tiotoss.jp/