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向山洋一がたどった特別支援教育の歩み~吉岡君の四年生のときの記録の分析(その2)~

『教師修業十年』にみる吉岡君の状態と向山氏の対応が凄い。さらに向山氏の教師としての優れた特性を垣間見ることができる。

玉川大学教職大学院教授 谷 和樹

「馬鹿だから死にたい」

『教師修業十年』(明治図書)に次の記述がある。

放課後、雨の校庭をながめていた時だった。四年生の男の子がぼくの側に来てしばらく休んでいた。
彼はしばらくして「ぼく死にたいんだ」と、ぽつんと言った。

これが、前担任の記録にある次の記述のものだろう。

「ぼくは馬鹿だから、屋上から飛びおりて死にたい」とつぶやく

「死にたい」と言われた向山氏は、びっくりして次のやりとりをする。

「どうして?」と、思いがけない言葉を聞いて、どぎまぎしながらたずねた。
「ぼく、馬鹿だから…。」
はっきりとした口調で答えた。
「そんなことないよ。馬鹿なんていないよ。努力すれば誰だってできるようになるよ」
と、話すと、
「ぼくは何をやってもだめなんだ」
と言って、また雨の校庭に視線を移した。三〇分近く、ぼくは熱心に話を続けた。帰りがけににっこり笑って帰っていった。

この吉岡君は、それまでにも友達に石を投げ、消しゴムを投げ、筆箱を投げ、眼鏡を投げ……という乱暴者である。

よく考えると、次の記述は驚きである。

①ぼくの側に来てしばらく休んでいた。

なぜ、吉岡君は向山氏の側に行ったのだろう。
しかも「しばらく」休んでいたというのである。

吉岡君は自分の担任には決して近づかなかったに違いないのだ。
向山氏には受容的な雰囲気があったのだろう。ふだんから怒鳴っていなかったのだろう。
朝会その他でそうした向山氏のムードを吉岡君は無意識に感じ取っていたのかも知れない。

②しばらくして「ぼく死にたいんだ」と、ぽつんと言った。

すぐに言ったのではない。「しばらくして」言ったのである。逡巡していたのかも知れないし、ふと思いついたのかも知れない。

いずれにしても、「この先生には言っていい」そう感じさせる何かが向山氏にはあったということだ。

この点は、これまで誰も指摘していない。しかし重要だ。

宮尾益知氏(どんぐり発達クリニック医院長・医学博士)は言う。

1人でもいい。その子が敵じゃないと感じさせる大人が必要だ。

通常は教頭先生とか、用務員さんとか、年配の教師がそうした役割に向いていると言われている。
しかし、当時の向山氏は32歳である。
その時点でそうした役割を担える人間的大きさがあったのだろう。

③「ぼく、馬鹿だから…。」はっきりとした口調で答えた。

はっきりとした口調で答えたのである。その後「何をやってもだめなんだ」とも言っている。

医師の言葉として向山氏の文章に出てくる次の2点はこの記録を根拠とする。

1 意志の交流ができる。
2 病識がある。
(そこから先は先生の仕事です)

この部分も極めて重要なので次回にまとめて取り上げる。

④また雨の校庭に視線を移した。

つまり、話す時に向山氏の顔を見ていたのである。

それから「また」雨の校庭に視線を移したのだ。
顔を見ながら話ができるのである。

⑤三〇分近く、ぼくは熱心に話を続けた。

たまたま側に来て座った吉岡君に、向山氏は30分近くも語り続けたのである。
当然、別れた後で時計を確認し、このことを担任に報告したから時間が分かる。
担任の記録にも残っている。

⑥にっこり笑って帰っていった。

そして、にっこり笑ったという。

向山氏が彼を最後まで信じることができたのは、これが原点にあったからであろう。

(続く) 


谷 和樹
玉川大学教職大学院教授。北海道札幌市生まれ。神戸大学教育学部初等教育学科卒業。兵庫教育大学修士課程学校教育研究科教科領域教育専攻修了。兵庫県の公立小学校に22年勤務。TOSS(Teachers’ Organization of Skill Sharing)代表。著書「子どもを社会科好きにする授業」(学芸みらい社)、「谷和樹の学級経営と仕事術」(騒人社)他、書籍・論文多数。


※この記事は2016年6月1日発行の『TOSS特別支援教育 第3号』に掲載されたものの再掲です。一部、名称等が当時のものになっていることがありますこと、あらかじめご承知おきください。

※この記事へのお問合せはTOSSオリジナル教材HPまで。https://www.tiotoss.jp/