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向山洋一がたどった特別支援教育~吉岡君の四年生のときの記録の分析(その3)~

40年前から向山氏には科学的な視点があった。発達障害についてのまとまった研究は、教育界で何一つ報告されていない時代である。

玉川大学教職大学院教授 谷和樹

一 向山氏の科学的態度

吉岡君を担任することになった向山氏は研究を開始する。
1977年。氏は33歳である。
担任して半年後の生徒指導全体会。
激変した吉岡君の報告が向山氏から出された。
当然、次の問いが出される。

何が原因で彼は変わったのか。

向山氏の答えは次である。

よく分からない。

しかし、『教師修業十年』(明治図書) では次のようにも書く。

ぼくなりの考えはある程度ある。しかし、裏づけのあるものではない。しかも、かなりたくさんの人々の努力の蓄積であるように思う。

サラッと書き流しているが、この向山氏の文章は驚愕である。

第一によく分からないが、推定できることはあるということだ。「仮説」があると言ってもいい。

第二に、しかしその仮説を証明するためには、データが不足しているということだ。科学的なエビデンスが不足していると言ってもいい。

第三に、多くの人の努力のおかげ――つまり原因は複合的だということだ。交絡因子(コンファウンディング・ファクター)が多すぎると言ってもいい。

こうした考え方を40年近くも前の教育現場で発言していることが驚きである。

さらに、向山氏は次のように続ける。

ぼく達はこうした子どもの変化の事実を一つ一つ検討し、つみ重ねることによって〈教育科学〉を豊かにしていく必要があるのだと思う。

そのために、この報告では「事実」のみを報告することを向山氏は述べている。
まさに、昨年(2015年)からTO SSが開始している「科学的研究」を向山氏は意図していたわけだ。

二 吉岡君に対する医師の判断

吉岡君を担任することになって、向山氏はその3月28日から本格的な勉強を開始する。
残りの春休みに向山氏が読んだ本の冊数。

52 冊

近代日本教育論集、教育学全集、岩波講座など本格的なものからデカルトの情念論などの周辺的なもの、さらに10年分くらいの雑誌のバックナンバーからも選んでいる。 

全集、選集等は一応は目を通したので課題状況は何となく持てるようになった。

それを「家にある本から選んだ」というのだから驚きである。
本格的な全集の数々を33歳の青年教師が最初から所有していたということである。

その後、「何人もの医者」に面談する。
吉岡君の資料に目を通し、2、3日で50冊以上の本を読破し、その上で複数の医師に面談しているわけだ。
医者の判断は次の通りである。

①病識がある。
②意志の交流ができる。
③主因は第二次障害である。

したがって、

教育は充分可能である。

自分が病気であることを自覚している。そして意志の疎通ができる。
ならば、そこから先は教育の仕事だというわけだ。

どんぐり発達クリニックの宮尾益知ドクターも同様のことを述べている。
通例、本当に「医者の仕事」である子はそれほどいないという。
発達障害の子が6〜10%も存在するのであれば、統計的に多すぎる。
その多くは教育の仕事として捉える必要がある。

例えば注意欠如・多動症に使われるコンサータが全く効かない子がいるそうだ。

そういった子はもしかしたら「虐待」によるのかも知れない。
また、自閉スペクトラム症と言語症は基本的には医療ではなく、教育の仕事だという捉え方が欧米では一般的になりつつある(この点についてはまた別に述べる)。

そして何より重要なのは次の点である。

主因は第二次障害である。

第二次障害とは、周囲の大人がその子の困難さを理解できず、適切な対応をしなかったために、本来抱えている困難さとは別の二次的問題が出てしまうものである。

率直に言えば「教師の責任」なのだ。
(続く)


※この記事は2016年10月1日発行の『TOSS特別支援教育 第4号』に掲載されたものの再掲です。一部、名称等が当時のものになっていることがありますこと、あらかじめご承知おきください。
※(お詫び)公開設定のミスで、9月29日(金)に『TOSS特別支援教育第3号』マガジンにて公開しておりました。正しくは第4号の記事ですので、10月6日(金)に第4号へと移動しました。お詫びして訂正いたします。

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