向山洋一がたどった特別支援教育の歩み~それは「ぼく死にたいんだ」から始まった~
発達障害の概念が全くなかった時代に実現していた向山実践。今でも追随できないほどのその先進性を分析する。
玉川大学教職大学院教授 谷 和樹
一 吉岡君への教育が現代に与えるインパクト
『教師修業十年』(明治図書)の第Ⅱ章二。
「ぼく死にたいんだ」の項は、次の文で終わる。
向山氏はその後教育技術の法則化運動を創設する。
そして、全国の教師たちをつなげる空前の情報ネットワークをつくり上げた。
向山氏の数多くの実践は、全国の教師たちに巨大な衝撃を与えることとなった。
① 向山式跳び箱指導法
② 分析批評による「春」の読解指導
③ 授業の腕をあげる法則
等々……
発表された方法は全国に炸裂するように広がっていった。
全国の仲間たちと価値ある教育情報を共有する。
こうした考えを氏が持った、いわば原点の実践が、この吉岡君(『教師修業十年』では林君)への教育だったのだ。
この実践の重要性・先進性は、今ならはっきりと理解できる。
しかし、発表された当時の状況は、今とは異なる。
向山氏がこれを実践した当時は「発達障害」という概念そのものさえ、影も形もなかった。
向山氏の実践を読んで「凄い!」と多くの教師たちが感じ、勇気を与えられたことは確かである。
しかし、この実践を次のように意味付けようとする仕事はほとんどない。
① 報告された事実を客観的に分析し、
② そこから法則性を取り出し、
③ 全国の教室で活かしていける形に整理する。
大場龍男氏など一部の先進的な試みを除いては、未だ充分にはなされていない。
分析できるレベルまで研究が追いついていなかったのだと思う。
この連載は、それに挑戦しようとするささやかな企てである。
二 状態の正確な把握と分析からすべては始まる
さて、その吉岡君である。
『教師修業十年』には、彼の状態の困難さが描写されている。
その描写の元となった記録が『調布大塚小の生活指導実践記録1977・4・1〜1978・3・31』(東京都大田区立調布大塚小学校 ※現在は入手不可)に克明に書かれている。
次に挙げるのは彼が四年生のときの状態である。
量が多いので一部を抜粋・短縮して引用する。
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発達障害に対する研究がかなり広がってきた現在から見ても、これは極めて壮絶な状態であろう。
この子を五年生で向山氏が担任することになる。
まず、次の問いから検討する。
① この記録から、自分なら何をどのように分析するだろうか。
② 五年生になる時のクラス替えにあたって、自分ならどのようなことに配慮するだろうか。
谷 和樹
玉川大学教職大学院教授。北海道札幌市生まれ。神戸大学教育学部初等教育学科卒業。兵庫教育大学修士課程学校教育研究科教科領域教育専攻修了。兵庫県の公立小学校に22年勤務。TOSS(Teachers’ Organization of Skill Sharing)代表。著書「子どもを社会科好きにする授業」(学芸みらい社)、「谷和樹の学級経営と仕事術」(騒人社)他、書籍・論文多数。
※この記事は2015年10月1日発行の『TOSS特別支援教育 創刊号』に掲載されたものの再掲です。
一部、名称等が当時のものになっていることがありますこと、あらかじめご承知おきください。
※この記事へのお問合せはTOSSオリジナル教材HPまで。
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