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母親と離れる時に抵抗する子への手立て

「母子分離の不安」よりも、「環境の変化への不安」を感じる子だった。母親と協力し、不安を取り除く、安心感を与える等の手立てを講じた。

長野県公立小学校教諭 大川雅也



 小学1年生のAくん。入学して1週間後の朝、学校玄関でお母さんと離れる時に泣いて抵抗した。それから毎日のように、母親と離れる時に、抵抗した。離れた後に、Aくんは駐車場へと向かう母親の後を追いかけた。それを職員が何とか止めて、落ち着かせた。
 「母子分離の不安」かと思ったが、そうではなかった。母親と一緒にいる時も、大人数がいる場所や、不慣れな場所に抵抗を示すことがあった。つまり、「環境の変化への不安」が強かったのだ。
 小学2年の時に、医療機関を受診。「自閉スペクトラム症(ASD)」と診断された。
 そんな彼をサポートするため、担任の私と母親、他の職員が力を合わせて、様々な手立てを行った。

(手立て1)タスクオフの状態も受け入れる
 音読をしたり、歌を歌ったり、発表したりと声を出す活動があるが、Aくんは声を出すことができない。友達の様子を見ることはできる。字を書くこともできる。タスクオンできることとタスクオフになってしまうことがある。タスクオフの時も受け入れる。書いている時など活動している時に、頭をなでて褒めた。

(手立て2)「安心剤」の所持を認める
 母親との支援会議の際、Aくんが「夜寝る時も、スーパーなどへ母親とお出かけする時も、母親が昔着ていたセーターを肌身離さず持っている。学校へ行く車の中にもセーターを持ち込んでいる」ということを母親から聞いた。
 そこで、そのセーターを学校にも持ち込んで生活してもらうことにした。朝、母親と離れる時に、泣いてはいたが、セーターをぐっとつかみ、何とか耐えようとする姿もあった。
 Aくんは、授業の時はもちろん、外で遊ぶ時も、給食当番の仕事をする時も、掃除の時も、セーターを持っていた。
 セーターに安心剤としての効果があることを確認した。
 周りからセーターを持っていることの心ない指摘がないよう、担任の私は、クラスみんなに「Aくんが安心して過ごすためのアイテム」だと伝えた。
 半年ほどすると、掃除の時間や、体育の時間に、セーターを置いて活動する場面も見られるようになった。そして、次第にクラスの雰囲気に慣れてきた。
 2年生の時は、担任が用意したバルーン状のボール(空気を入れて変形する大きなボール)が気に入り、セーターを置いて生活するようになった。セーター以外の安心剤に出会うことができた。

(手立て3)不安要素(大勢の人がいる場所)を取り除く
 児童玄関は、大勢の子が出入りをする。そのため、教室横のテラスから入るようにした。Aくんは母親から離れてすぐ、担任の私と相撲を取り、担任を教室へ押し出す形で、教室に入った。
 徐々に、母親から離れる時の抵抗が弱くなり、やがて抵抗せずに、すんなり離れるようになった。

(手立て4)お風呂で、Aくんと母親が、それぞれ今日の出来事を会話
 Aくんと母親が毎日会話できる時間は、お風呂の時間だと聞いた。Aくんが学校の出来事を話し、母親が会社での出来事を話す。会話をして、明日をポジティブな気持ちで迎えられるようにしていただいた。

(手立て5)休みの日に、お家の人と散歩
 休み明けに、調子を崩すことが見られた。学校に来ても、疲れている様子があった。休みの日は、家で静かに過ごすことが多く、学校生活とのギャップが大きかった。そこで、なるべくお家の人と外に散歩したり、公園で運動したりする時間を取っていただいた。それにより、休み明けの調子の低下を小さく抑えることができた。

 手立ては他にもあと5つほどあったが、紙幅の関係で割愛する。

 Aくんは、2年生の2学期より、特別支援学級に入級。特別支援学級の教室が安心できる場所となり、負荷なく学校生活を送ることができるようになった。
 母親の協力がとても大きかった。


© 2023 TOSS,The Institute for Teaching-Skill Sharing.Printed in Japan

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